今週のお題「感謝したいこと」
「イモ」「鍋」「ピザ」って来てませんでしたっけ?、じゃぁ次は「カニ」「牡蠣」あたりかなと思ってたら、いきなり「感謝したいこと」ですかぁ・・・
そりゃぁ、いろいろあります。いろんな人の顔が思い浮かびますし、人じゃない顔もいろいろ。
でも、自分は毎朝「感謝の気持ちを表す」ということをずっとしているので、そのことを書こうと思います。
多少、思想宗教的な要素が含まれる内容になるので、あらかじめ書いておきます。
- 自分は無宗教(特定の創唱宗教はやってないという意味)で、お詣り(神社)もお参り(お寺)もします。
- 宗教的主張や、思想的・政治的主張もたいしてありませんし、そういう主張って排他的にならざるを得ないので、blogやsnsに書くべきではないと思っています。
これ書いといたってあまり意味ないとは思いますが、一応・・・
毎朝の「感謝の気持ちを表す」行為
毎朝やってる「感謝の気持ちを表す」行為というのは、神社のお詣りです。
毎朝、チビ姫が散歩に連れてけと誘い出してくれるので、眠い日でも寒い日でも家を出るわけですが(←この点についてはチビ姫に感謝です)、そのコースに神社があり、そこでお詣りするのが日課です。
ごくごく普通に、二礼二拍手一礼をします。二礼二拍手一礼のそれぞれの動作にも意味があるようですが、自分の場合はこんな感じ。
- 二礼 「いつもありがとうございます」と感謝のお礼
- 二拍手 自分の心を神様?(鏡?)に写し、今日も一日頑張りますと宣言したり、何かを祈ったり
- 一礼 「頑張りますので、どうぞ見守ってください、よろしくお願いします」とお願い
二拍手の後、右手を少し引き手を合わせた状態で宣言したり祈ったりするので、ここで30秒~2分くらいかかります。自己流なのでこれでいいのかわかりませんが、長年やってるうちにこうなりました。
感謝の内容は、「日々生きながらえさせてもらっていること、それを見守っていただいていること」みたいない感じです。
自然の一部として自分が生かしてもらってるということに対する感謝。アミニズム的というか、もののけ姫的というか(笑)、そんな感覚です。
自然の意思としての神様の役割
「自然の一部として自分が生かしてもらってる」という感覚は、一般的な日本人なら持ってるものかもしれませんが、自分の場合は学生時代に学んだことの影響も大きく。
それは、「天敵が少ない生き物は、繁殖サイクルの長期化や伝染病などの、人口調整機能を獲得する」という内容でした。これが信じるべき正しい説なのかどうかは判りませんが、自分の考え方は大きく影響を受けました。
例えばメダカ。天敵が居る環境下で種として生き残るためにたくさん産みたくさん孵るけど、天敵が居ない環境でも、親が食べてしまったり、餌取り競争に負けて餓死したり、アライグマに食べられたりと人口調整はなされます。
池の金魚もそうだし、カエルもそう。池のキャパ、庭のキャパに見合わない生息数は淘汰され、人口調整はなされます。
メダカも金魚もカエルも、生き物の個体としては、一生懸命生きよう殖えようとするのだけれど、誰かが汚れ役を担って淘汰を機能させ、人口調整をしなくてはいけない。
それをやるのが自然であり(もちろんそれは自然の一面でしかありませんが)、それを擬人化し捉えやすくしたのが神様(もちろんそれも神様の一面でしかありませんが)と思っています。
なので、「生きながらえさせてもらっていることに感謝」となるし、その裏には、「生きながらえさせてもらえなかったものへの気持ち」や、「その裁きをしてくれている自然(神様)への感謝」もあります。
お魚やカエルの例で書きましたが、これを人間社会に当てはめ出すといきなりヤバくなってしまうので、このあたりまでにしておきます。
そんなめんどくさいこと言ってないで、普通に家族に感謝したほうが良さそうですね。