今日は「戦争」のことを書きます。
終戦の日くらいは、そういうことを考えてみようというわけです。
2021年、2022年に考えてたこと
終戦の日の備忘録も、3年目になりました。
2021年に考えてたことはこんな感じです。
- 負けたことが全て。戦争では敗戦国が悪。
- 敗戦した太平洋戦争のイメージを戦争ととらえてはダメ。あの戦争は特殊過ぎ。
- 戦争の歴史に対する捉えは左右両極端過ぎる、バランス良い情報源が欲しい。
ウクライナ侵攻後の2022年に考えてたことはこんな感じです。
- 現代の戦争は、太平洋戦争のイメージでは全くない。
- 戦争しない(攻められない)ためには、集団安全保障の枠組みに入る必要大。
- そのためには、日本も極端な戦争アレルギーから抜け出さないと。
これらの考えは、今も基本的には変わってません。
今年は、これらの考えをもう少し整理してみました。
非戦争局面での国と国との競争
自分は、争いはなくならないと考えています。(注:争いです。戦争ではありません)
生き物は必要な生息域・資源を求めて争うものですし、人間の場合人口も圧倒的に増えてしまってるのだから、そりゃぁ争いは避けようもないと考えます。
争いながら生きていくので、競争相手に対しいろいろな面で有利に事を運ばないといけません。
競争は戦争局面だけでなく、普通の局面でもあります。まずはその普段の局面の話。
国と国との競争なので、外交戦とか情報戦とかが繰り広げられることになります。
で、その「外交戦・情報戦」において、日本は「戦争」をネタにやられっぱなしです。
元はアメリカが日本のマスコミへの情報操作や教育界への圧力により、日本人に贖罪意識を植え付けたことだと思います。
日本人は長らくマスコミや教育界の日本人から、「日本人は戦時中、悪辣な軍事国家として周辺に多大な迷惑をかけた」と思いこまさせられました。
もちろんそういう捉えも正しいのですが、極端に誇張・歪曲されて伝えられ、自虐的な思想に傾き過ぎました。
そして、そこにつけ込んできたのが、中国や韓国の思想、政治工作です。
実際今でも、中韓の論調に同調する日本人はたくさんいますし(ホントの日本人じゃないケースも多いようですが)、そういう思想の政党もなぜか根強く残っていることが、日本の「外交戦・情報戦」の足を引っ張っていると思います。
かの戦争が、競争相手にネタとして使われてしまっている状況。
まずはこの状況を打破しないといけないのですが、そもそも日本人自体が戦争の話が出ると何も言えなくなってしまい・・・
なので、日本人は極端な戦争アレルギーを早く克服しないといけないと思います。
戦争局面(戦争に近い局面)で大事な事
次に戦争局面(戦争に近い局面)の話。
当たり前ですが大事なことは「いかに戦争しないで済ませるか」になります。
当然、現代において日本を含む普通の国が侵略戦争するなんてことはまずありえませんから、「戦争しない」=「(特殊な国から)戦争を仕掛けさせない」「攻めさせない」になります。
ウクライナを見ればわかるように、仕掛けられてしまったら、泥沼です。
で、「戦争を仕掛けさせない」「攻めさせない」ためにはやはり、集団的自衛権・集団安全保障ということになるでしょう。
集団的自衛権・集団安全保障を成立させるには、GDP比2%程度の軍事費を負担し、必要な際にはすぐに参戦するなど、自らも責任の一端を担う必要があると思います。
スウェーデンやフィンランドも一気にそちらに舵を切りましたし、日本も基本的には他の西側諸国と同じ方向に動いていると理解しています。
そういう国としての当たり前の動きに対しても、戦争アレルギーな人々がヒステリックに反対しますが、すでにそういう人達の比率はだいぶ下がり「ノイジーマイノリティー」的な位置づけになりつつあるし、国もそういう声に惑わされず、着々と進めてくれていると感じます。
このあたりは、ここ1~2年でかなり前進できたのではないでしょうか?
なお、ウクライナの最近の状況を見て、太平洋戦争とはだいぶ違うと感じた人も多いと思いますが、これも日本人の戦争アレルギー克服の一助になると考えます。
既に戦場ではなくなった首都キーフの人々の様子を見ると、とても戦時中とは思えない様子ですし、南部では海水浴場までオープンしているようですし。
「このままでは徴兵制が採用され、若者が戦地へと送られてしまうのではないか?」と心配していたような人々も、70年前とは時代が違うと感じられるのでは?
麻生さんの「闘う覚悟」発言
さて、1週間ほど前の麻生さんの「闘う覚悟」発言が話題になっています。
日本でも、台湾でも賛否両論あるようですし、当然CHINAは怒ってますが、おそらくそれらも想定した上での発言でしょう。
「日本の憲法」や「台湾と正式な国交がない状況」の視点からは、おかしな発言ですが、集団的安全保障的な視点からすれば、ごく当たり前の発言だと思います。
アメリカやドイツが闘う覚悟を見せていれば、おそらくウクライナは攻められなかったでしょうし。
ちなみに、自分も去年の終戦の日の記事に、同じようなことを書いてました。
争いが起こりそうになった時には、しっかり闘う姿勢を見せることで争いを回避する。それしかないと思います。争いですから、怯んだらやられます。
これって、野生動物達がやっていることです。人類も生き物である以上、そうするしかないと思っています。
そして、争いの回避を、今の時代に国の規模でやるのが、集団安全保障だろうと考えています。
日本人も戦争アレルギーを克服し、中韓系の思想工作/政治工作にやられないようになり、国としても、独立国・先進国として当たり前の軍備を整え闘う覚悟も見せることで、抑止力一旦をしっかり担う存在になれるといいなと思っています。
さて、来年のこの日には「全体主義」について書けるよう、勉強したいと思います。